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東京地方裁判所 昭和53年(行ウ)113号 判決 1981年2月05日

原告 金広一

被告 東京入国管理事務所主任審査官 ほか一名

代理人 石川善則 飯塚実 ほか五名

主文

1  被告東京入国管理事務所主任審査官が原告に対して昭和五三年六月二〇日付東第二三九号をもつてした外国人退去強制令書発付処分を取り消す。

2  被告法務大臣が原告に対して昭和五三年六月一七日付をもつてした原告の出入国管理令第四九条第一項に基づく異議の申出を棄却する旨の裁決を取り消す。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

事  実<省略>

理由

一  請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  ところで、本件裁決及び発付処分は原告が外国人であり、令第二四条第四号リに該当する者であるとしてなされたことは主張自体から明らかであるから、まず、原告が外国人であるか否かについて検討する。

1  原告が昭和二四年一一月一二日横浜市鶴見区小野町一〇番地において父金吉洛、母里野の子として出生したこと及び金吉洛が朝鮮戸籍に登載されていた者であり、里野が出生時内地戸籍に登載されていた者であることは当事者間に争いがない。

(一)  被告らは、原告出生当時金吉洛と里野は法律上の婚姻関係にあつたものであるから、里野は右婚姻により内地戸籍から除籍され金吉洛の戸籍に入籍さるべき者であり、従つて、このような関係にある父母から出生した原告についても金吉洛の戸籍に入籍さるべき者であると主張するのでこの点についてみると、本件全証拠によつても金吉洛と里野が法律上の婚姻関係にあつたことを認めることはできないし、かえつて、<証拠略>によれば、金吉洛と里野は昭和二〇年ないし二一年の七月ころ結婚生活に入つたが、結婚式も婚姻の届出もしなかつたことが認められるのであるから、右被告らの主張は採用できない。

(二)  次に、被告らは、金吉洛は昭和二五年二月一三日本件出生届を横浜市鶴見区長に提出したところ、右出生届の提出はこれが戸籍事務管掌者によつて受理された以上認知としての効力があるから、原告は右認知により金吉洛の戸籍に入籍されるべき者になつた旨主張するところ、本件出生届が右年月日に鶴見区長に提出された事実は当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、本件出生届の内容は、原告は金吉落及び金里野(両名の本籍地・朝鮮慶尚北道軍威郡軍威面茂城洞一九九番地、戸籍筆頭者・金晃永)の嫡出子であつて、昭和二四年一一月一二日午前九時三〇分横浜市鶴見区小野町一〇番地において出生したというのであり、届出人として父金吉落の署名押印があり、助産婦石井カナの出生証明書が付されており、これが右鶴見区長により昭和二五年二月一六日受付け受理されたものであることが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。このような記載内容によれば、本件出生届は父を届出人とする嫡出子出生届であるから、もしこれが金吉洛の意思に基づいて提出されたものであれば認知の効力があり、原告は朝鮮戸籍に入籍されるべき者となつたものといわなければならない。

(1) そこで、まず、本件出生届が金吉洛自身によつて提出されたものであるか否かについて検討するに、<証拠略>中には、原告の出生後、夫が出生届をした旨の供述が存するが、右供述は左記事実からするとにわかに採用し難く、他に本件出生届が金吉洛自身によつて提出された事実を認めるに足りる証拠はない。かえつて、<証拠略>によれば、金吉洛は窃盗及び強盗未遂の容疑で昭和二四年一二月四日勾留状を発付された後、同年一二月二二日東京地方裁判所に起訴され、昭和二六年一月二七日右事件で懲役七年の判決言渡しを受けたため引き続き服役し、昭和二九年七月一四日仮釈放になつた(本件出生届提出当時、金吉洛が身柄を拘束されていた事実は当事者間に争いがない。)ことが認められ、右事実によれば、金吉洛自身が本件出生届を提出したことはあり得ないことといわねばならない。

(2) そうすると、本件出生届は金吉洛以外の者によつて提出されたものといわざるを得ないが、その提出が同人の依頼に基づき、ないしは同人の意を受けて行なわれたものであるか否かについて、次に検討する。

まず、本件出生届が金吉洛によつて作成されたものであるかどうかについてみると、<証拠略>(但し、受附欄及び出生証明欄を除く)の筆跡と<証拠略>の「金吉洛」の署名の筆跡とを対照すれば、一見して別人のものであることが明らかであり、この事実と<証拠略>によれば、金吉洛自身が本件出生届を作成したものとは到底認められない。

もつとも、<証拠略>によれば、金吉洛(同人は「洛」に代え「落」の字を使用することがあつた。)は大正一四年一一月一一日当時の朝鮮慶尚北道に生まれ、その後昭和一四年九州に上陸して以来福岡、兵庫、神奈川の各県下で造船の仕事などに従事していたこと、一方、里野は大正一五年七月一〇日北海道に生まれ、その後昭和一八年神奈川県横浜市へ転居して以来同市内で生活していたところ、両名は昭和二〇年ないし二一年の七月ころ横浜市鶴見区小野町一〇番地で事実上の婚姻生活に入り、両名の間には昭和二二年七月三〇日長女和江が、同二四年一一月一二日長男原告が、同三一年三月一〇日次女弘美が、同三三年二月一九日次男弘義がそれぞれ出生した(長男原告の出生については当事者間に争いがない。)こと、長女和江の出生届については金吉洛と金里野の嫡出子とする内容の出生届が届出人金吉洛名で鶴見区長あてに提出され、右出生届は昭和二二年八月一四日付で受理されていること、なお、次女弘美及び次男弘義の出生届については、右両名出生当時金吉洛が朝鮮へ戻ることを考慮していたため出生届の提出がなされないまま昭和四一年ころまで経過したが、里野が横浜市の戸籍担当者などと交渉し、弘義については昭和四六年一二月一三日里野が出生届を提出し、同女の戸籍に入籍されていること、以上の事実が認められ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。右事実に、前記のとおり金吉洛が原告出生後約二〇日を経たころから本件出生届が提出されたときまで引き続き身柄を拘束されていたとの事実を合わせ考えれば、本件出生届が金吉洛の依頼に基づき、ないしはその意を受けて作成、提出されたことは十分あり得ることであり、<証拠略>によれば、金吉洛は昭和四二年一月三〇日長女和江及び原告の外国人登録法違反(無登録)容疑により鶴見警察署で取調べを受けた際、取調官に対し、長女和江の出生届については里野の籍に入籍するつもりで有村こと金にその旨の届出書の作成と提出を依頼した旨及び原告の出生届については有村こと金の兄に里野の戸籍に入籍するように依頼したと記憶しており、この人が出してくれたと思う旨供述していること並びに<証拠略>によれば、金吉洛が供述している有村こと金とは金晃永のことであり、その兄とは権寿元であることが認められるところ、<証拠略>によれば、権寿元は昭和四二年二月四日前記の外国人登録法違反容疑事件に関連して取調べを受けた際、里野から原告の命名の依頼を受け、原告を広一と名付けたことはあるが、本件出生届を作成、提出したことはなく、右出生届の作成及び提出は弟の金晃永が金吉洛の依頼によつて行なつたものと思う旨供述していることが認められる。

しかしながら、金吉洛の右供述中、原告の出生届に関する部分は、和江の出生届に関する部分と対比し供述自体があいまいであるし、前記のような状況にある金吉洛がどのようにして権寿元に依頼したかの点にも疑問があり、権寿元の右供述に照らしても、にわかに採用できない。また権寿元の右供述中、本件出生届は金吉洛の依頼により金晃永が作成提出したものと思うとの部分については、単に推測に基づくものであるうえ、<証拠略>によれば、金晃永は金吉洛が身柄拘束を受けた前記の窃盗及び強盗未遂事件の共犯者の一人として昭和二五年二月一七日東京拘置所に入監していることが認められ、この事実からすれば金晃永も本件出生届提出当時身柄の拘束を受けていたものと十分推認し得るところであるから、権寿元の前記供述部分はにわかに採用し難いものといわねばならない。そうして他に本件出生届が金吉洛の依頼によつて作成、提出されたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

かえつて、<証拠略>によれば、金吉洛は原告の命名をする暇もなく逮捕されてしまつたため、里野が権寿元に依頼し原告の命名をしてもらうとともに自己の戸籍に入籍してくれるように出生届の提出を頼んだ旨供述しているところ(なお、里野は右証言中において、当初、原告の命名及び出生届の作成提出を依頼した相手を有村こと金晃永である旨述べているが、<証拠略>によれば、権寿元は金晃永の四才年長の兄であり、ともに有村の姓を使用していたところ、弟の金晃永は昭和三七年ころ死亡していることが認められ、これらの事実に里野が右証言中で有村こと金晃永と称する者の年齢、死亡の時期等についてした供述を照らし合わせると、右有村こと金晃永とは権寿元のことを指しているものと認められる。)、権寿元が現実に本件出生届を作成してこれを提出したかどうかの点は、<証拠略>に照らし疑問の存するところではあるが、右供述中の本件出生届は里野が他に依頼して提出したとの点は、同証言中の、金吉洛は昭和二五年二月ころ赤坂警察署に留置され、面会も許されなかつたとの部分を考え合わせるならば十分あり得ることといわなければならない。

もつとも、右のとおり本件出生届が里野の依頼によつて提出されたものであるとしても、出生届の提出自体は同時に金吉洛の意を受けたものである可能性が否定されるものではない。しかしながら、<証拠略>は、原告を里野の戸籍に入籍するようにして出生届を提出することを依頼したとの点において一致しているところ、<証拠略>によれば、金吉洛は昭和二二年九月以来外国人としての登録手続を行なつているが、長女和江及び原告については前記のように鶴見警察署で取調べを受けるまで外国人登録手続が行なわれたことはなく、右取調べを契機として金吉洛が昭和四二年になつて初めて右両名の外国人登録手続を行なつたこと、また、これに先立つ昭和四一年春に長女和江の就職が内定した際同女の身分関係を証する書類が必要となり、里野が横浜市南区役所に赴き長女和江が右里野の戸籍に入籍しているものとして同女の戸籍謄本を請求したことの各事実が認められ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。右の事実は前記の各供述に沿うものであり、この事実によれば、金吉洛は昭和四二年に取調べを受けるまでは長女和江及び原告が里野の籍に入籍されており、従つて、日本人であるとの認識を有していたものと推認し得るのであり、してみると本件出生届が提出された当時の金吉洛の内心の意思は、仮に原告の出生届を提出するにしても、その結果原告が自己の朝鮮戸籍に入籍されてしまうこととなる出生届を提出する意思はなかつたものと認められるのである。そうすると本件出生届のような嫡出子出生届を提出することが金吉洛の意を受けたものであつたとはいえず、他にこれを肯定するに足りる的確な証拠はない。

(3) 以上のとおりであるから、結局、本件全証拠によつても本件出生届が金吉洛の意思に基づいて提出されたことを認めることはできない次第となる。

2  以上の説示によれば、原告は内地戸籍に登載されていた里野の非嫡出子というべきであるから、昭和二五年法律第一四七号によつて廃止された旧国籍法(明治三二年法律第六六号)第三条により日本国籍を取得し、右国籍を平和条約の発効により喪失するものでないことは明らかというべきである。

従つて、本件裁決及び発付処分は原告を外国人と認定した点において誤つており、いずれも取消しを免れないものといわねばならない。

三  よつて、原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九三条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 原健三郎 田中信義 揖斐潔)

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